Emergent Improvisation

(1) Being Time  for D ogen  Zenji (2010)
ISCM World new music days2010( ISCM世界音楽の日々2015)入選のRadio fonic作品。
オーストラリア「ABC classic FM」で放送された。道元の思想「有時」はハイデッガーの「存在と時間」の哲学に影響を与えたしばしば指摘されることがある。「生成」「関係性」「無意識」という固定した実体をもたない無常の世界、そこに「人はどこから来て、どこへ行くのか」と言う単純かつ究極的な問いに答えるすべがあるなら、それはカオス→コスモス→カオスモスという否定作業を永遠に続けるプロセスの中に一瞬一瞬自己を発見し気づく(固定観念や先入観を取り除く)こと以外にないであろう。
(2)声境:Gapping spinner (2013) :坂本美蘭(朗詠、プリペアード大正琴)花田和加子 (Violin)川口静華 (Cello) 
産業社会による機能化、細分化は神話作用を伴うジェンダー性アイデンティティを崩壊させたが、坂本未蘭の朗詠はそのような理性によって抑圧された無意識の本能を呼び覚まし、固定観念や先入観に裂け目を与え、強烈なGapping Spinner となって現代の神話となってよみがえるのである。そのような坂本未蘭の朗詠を私はあえて仏教の六境の中の「声境」と呼ぶことにした。尚、第一楽章はViolinCelloDuoの後、華厳経の一乗法界図が読経される。また第二楽章と第三楽章では仏教思想を基にした坂本未蘭作詞の「ハンマー声境泥」がViolinCelloとのEnsembleによってプリペアード大正琴を伴って詠われる。
(3) Dmension of Chaosmos(2008)  Santa Fe International Festival of Electroacoustic(サンタフェ国際電子音楽祭)入選作品 KUNM 89.9 FMで放送された
「ししおどしは」前後断絶、非連続の連続という刹那滅の象徴。
その様相はカオスにもコスモスにも換言されないChaosmos。それは無分別の分別化(カオスのコスモス化)、もう1つは空の実践プロセス(カオスとコスモスの絶え間ない循環)である。
(4)EX-Autopoiesis(2015)
オートポイエーシスウンベルト・ マトゥラーナとフランシスコ・バレーラにより提唱されたシステムの概念であり、仏教の内部観測の認識論から多くの影響を受けている。それは観察者の立場で、設計図を描くのではなく、自己の作動により外界(他者)へと自己の存在がその都度、境界として決定されるのである。換言すれば自己意識を一端開放し無意識、無分別智の世界へと投企し自己言及に再び舞い戻ってくることでもある。この作品で多用しているホワイトノイズはあらゆる周波数を含む、臨済禅で言う「喝(かあああああああつ)」と言う一端思考を停止させる無分別智の象徴のようなものである。高揚するホワイトノイズによって包み込み込まれ、すべてはホワイトノイズとなって自己言及に回帰する。 (そこには、理性による意識と分別という調和や構造は存在しない)そこで認識されるのはドゥルーズがニーチェの「永遠回帰」を「差異と反復」と解釈したように、非連続の連続と言う刹那滅で無常な世界である。 

Empty Action   amason.com 

永井清治Seiji Nagai (Artist), 河合孝治Koji Kawai (Artist), 小森俊明Toshiaki Komori (Artist)

The music of Trans Avant-garde   amazon.com

永井清治 Seiji Nagai with Sonic Train (河合孝治 Koji kawai, 小川類 Rui Ogawa, 川口賢哉 KenYa Kawaguchi,李容旭 Lee Yonguk)

トランスアバンギャルドの音楽は直線的な進歩主義の時間軸のモデルに隙間をあたえ、その隙間と隙間の間を横断(トランス)する思考モデル、創造モデルに新しい音楽のコンセンサスを導きだそうとするものである。

この曲の全体はホワイトノイズを基調にしている。ホワイトノイズはあらゆる周波数を含む無分別の象徴である。そのホワイトノイズはカオスともコスモスにも換言されない言わばカオスモスとなって、自己を差異化しながらその都度境界が形成され世界へと開かれるのである。